気がつくと大は、自分の姿さえ確認できない墨をぶちまけたような漆黒の闇の中にいた。
理由も分からないまま無意識に左側を見渡す。しかし何も見えない。
今の現状を少しでも打開しようと、二・三度目を両手で強くこすりつけ、ゆっくりと瞳を開く。
――しかしやはり見えるのは黒一色。
大は諦めずに右・上・下・後方と首を巡らし、僅(わず)かでも黒以外の何かが見えないかと目を必死で凝らすが、
目隠しでもされたかのよう何も見出すことは出来なかった。
異常なまでの闇の暗さに、少しずつだが確実に不安と恐怖が増大していく。
そして、心の許容範囲から溢れ出た感情がせきを切って涙ともに流れ出した。
「うわぁぁぁぁん!!ママぁぁぁぁっ〜!どごぉお!」
幼い大がこの世で最も信頼を寄せる優しい母親のことを懇親の力を込めて呼ぶ。
手を伸ばしあのあどけない笑顔を求め、耳を凝らし細く白い両手を差し伸べて【まーくん】と呼ぶ声を探し彷徨(さまよ)う。
しかし声は無常にも闇に吸い込まれ、消えていく。
手は空を掴むだけで壁や木、草など自然界に必ず存在するものに触れることは一切無かった。
時が止まったようなこの場所では時間の経過は全く分からない。幼い大なら尚更(なおさら)。
だが、着実に疲労が歩き続ける足に絡み付いて歩調を鈍らせる。
大は遂にふらふらと崩れ落ち、その場に座り込んでしまう。
涙と鼻水まみれ酷い顔のまま暗闇をぼんやりと眺める。
すると、どこからか父親と大自身の声が聞こえてくる。
(大、どうした?ははぁ〜もうギブアップか?……しょうがないなぁ……
ほら!パパの背中に乗っかれ!!大だけ特別にただ乗りさせてやるよ!)
(やったぁ〜!へへ!パパの背中楽チン!!)
(そりゃそうだろ〜パパがお前の分まで歩くんだからな。…そうだ!今度パパが疲れたら、大と交代だからな!)
(ええ〜!?やだぁ〜!ずっとここにいる〜!)
(おっ!ずっとか!?まいったな〜引っ付き虫がくっついちまったか〜はははっ……)
会話はボリュームを下げるように少しずつ小さくなり、父親の笑い声もとうとう聞こえなくなった。
突然の出来事に固まったままになっていた大も、父親の豪快な声を耳にし懐かしさと寂しさが荒波の如く押し寄せてくる。
鉛のように重い身体に鞭(むち)打ち、手で支えながら無理やり立ち上がる。
気力を振り絞り声が聞こえたであろう前方に向かい、掠れた泣き声で救いを求める。
「ひ…ひくぅっっ…パ…パぁぁぁあ…!ふぇ……じゅがれ…だ…よぉ……」
泣き叫びたいのを我慢して、自分を探しているであろう両親の声を待つ。しかし答える声は無かった。
ただ大の啜(すす)り泣く声だけが闇の中で空(むな)しく響く唯一の音だった。
心も身体も疲れ切った大にとって、先ほどの呼び掛けだけが僅(わず)かに残された希望の芽だった。
その芽も潰え、全ての行為を放棄する。
探すことも、呼ぶことも――希望を持つことさえも。
大は膝を抱えて、そこに顔を埋(うず)め、じっと動かなくなる。
心を閉ざした大は闇と同化したのかと見紛(みまご)うほどに危うかった。
空っぽの心と身体。ただそこにあるだけの存在。
あと少しで「心の闇」に囚われそうになっていた大の耳に突然、鼓膜が破れんばかりの大音量が脳天をついて来た。
「キーーン!!コーーーン!!カーーーーン……コーーン!!キーーン……」
「!!?」
びくりと身体を震わせた後、頭を勢いよくあげ異変を確認しようとする。だがそんな暇は一つも無かった。
学校の予鈴(よれい)と思われるその音は、普段耳にする音の比(ひ)ではなかった。
間違って音量を最大限にして電源を入れてしまったウォークマンのように、直接頭に響いてくる。。
大は急いで両手で耳を塞ぎ音を遮断しようと努める。しかし隙間を擦(す)り抜けてきた爆音は否が応でも鼓膜を襲った。
只(ただ)でさえ無音に慣れきっていた大の聴力には、計り知れないほどのダメージがあった。
「あぁぁぁぁあ!!」
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